Date 2014年02月25日(火)
今回のアウトライアー東峰初登頂の報告書が完成しました。A4フルカラー80ページという大作で、写真をふんだんに使った豪華な造りとなっています。
残念ながら小部数印刷のため、関係者への配布のみにとどまらせていただいておりますが、機会を見て当ブログ内で記事の一部を紹介したいと思いますので、ご期待のほど、どうぞよろしくお願いします。
<放送日変更のお知らせ>
■先日、お知らせしましたNHK-BS1「実践! にっぽん百名山」ですが、阿蘇山の噴火の影響を受けて放送日が変更になりました。
アウトライアーの話が出てくる「丹沢」の回は、3月6日(木)午後5時と、再放送が8日(土)午前11時からになります。
(前回のお知らせから1週間、繰り上がりました)
http://www4.nhk.or.jp/j-100yama/x/2014-03-06/11/66063/
日本の名山を紹介し、ルートのポイントや登るためのテクニックを紹介する番組の1コーナーで、数分間という短い時間ではありますがアウトライアーの写真と動画が紹介される予定です。
Date 2014年02月18日(火)
2月7日(金)のアウトライアー登頂報告会は、おかげさまで大盛況のうちに終了することができました。
その後も2月15日(土)に日本山岳協会主催の「海外登山技術研究会」で周辺の山々の紹介も含めた発表をいたしましたが、今後もご要望に応じて報告会を開催する予定でいます。
また、韓国の山岳雑誌『人と山』2月号にアウトライアーの記事が掲載されました。
『山と溪谷』2月号で使ったものとほぼ同じ内容の写真素材とテキストを提供したのですが、誌名の「人と山」が示すように、人物寄りの写真セレクトになっていて編集方針の違を感じさせられます。カラー6ページで、見開きのトップは南西壁の核心部を越える私のアップ写真が使われていました。
韓国の山岳雑誌『人と山』2月号
見開きのトップに使われたのは南西壁核心部登攀のアップ写真
Date 2014年01月09日(木)
今回のアウトライアー登山につきましては、昨年末に日本山岳会の晩餐会会場で報告会を開かせていただきましたほか、青山学院大学関係者等に向けた公式報告会、日本山岳協会主催の海外登山技術研究会での発表などが予定されていますが、このたび山と溪谷社が主催となって広く一般読者に向けた報告会を開催することになりました。
期日は2月7日(金)19時から。場所は東京都市ヶ谷のインプレスグループ市ヶ谷セミナールームで、詳細は以下を参照してください。
当日は6000枚もの写真のなかから厳選したカットを使ってヒマラヤ登山の魅力をお伝えすると同時に、ショートムービーでの臨場感あふれる登山の様子を紹介する予定です。
未踏の頂に挑む隊員たちの、岩と雪の険しいクライミングシーンはもちろんのこと、道中のヒマラヤ・トレッキングの魅力についてもお伝えするトークショーになりますので、どうぞお気軽にご参加ください。
<アウトライアー登頂報告会の申し込み・問い合わせ先>
http://www.yamakei.co.jp/news/event/outlier.html
南西壁を登る萩原隊長
ナマステ! トレッキング風景もキレイです。みなさん、見に来てね
【今後の各メディアでの紹介情報】
現役4年生部員で主将の本田隊員による渾身のレポート。カラー4Pで紹介されています。
■NHK-BS1「実践! にっぽん百名山」(3月13日17時放送予定)
釈由美子さんがMC、萩原隊長が解説をつとめる同番組のコーナー「編集長のヤマ塾」のなかで、「ヒマラヤ登山に学ぶ登山の基本」というテーマで数分間、アウトライアー登山の様子を紹介する予定です。
http://www4.nhk.or.jp/j-100yama/26/
■韓国の山岳専門誌「人と山」(2月発売号)
アウトライアー登山の様子を、萩原隊長の視点から紹介するページを編集中です。
Date 2013年10月30日(水)
カトマンズ近郊の岩場でクライミングを楽しんでから帰るという仲間を置いて、仕事に追われる私だけが26日午後、香港経由でひとり帰国。残っていたメンバーたちも、29日午後に成田空港に戻ってきました。今後も報告書作成などの作業が残っていますが、これをもって今回の遠征はひとまず終了となります。先発隊にとっては51日間という長期の山行となりましたが、苛酷な環境のなかでだれ一人、大きな怪我も病気にかかることもなく、元気に帰ってくることができたことをうれしく思います。
43日ぶりに出社してみると、郵便物の束と書類が崩れかけた波のように机を占領し、PCを開けばエベレストの標高を超えるたくさんの未読メールが壁となって立ちはだかります……。ひたすら地味に未読メールの整理をしていると、他の編集部から原稿の依頼が。そして部員からは月末締切の書類の山が。さらに帰国に合わせて締切日を設定していた『ROCK&SNOW』誌の原稿が雪崩のように押し寄せてきて、今にも吹き飛ばされそうな勢い。日本に戻って、いきなりレッドゾーンの激労が待ち受けていました。
そして本来の業務以外にも、「山の日」制定協議会の活動(議員連盟が頑張っています!)や、日本山岳会関連の集会、そして「ピオレドール・アジア」の審査会(ソウル市開催)など、あれこれのイベントが次々とカレンダーを埋め、はやくも身動きの厳しい状況に・・・・・・。やはり空白の43日間を埋める作業は容易ではありません。
なお、今回の登山につきましては、日本山岳会の年次晩餐会(12月7日)で報告会を予定しているほか、『山と溪谷』2月号(2014年1月15日発売)で詳しく紹介いたします。また、本ブログにおきましても「今だから書ける登頂裏日記」を唐突にアップする予定ですので、気長にお待ちいただければ幸いです。
写真_「ヒマラヤの生き字引」エリザベス・ホウリーさんの取材を受ける
Date 2013年10月24日(木)
10月23日23時、2日間のジープと貸切バスの行軍を経て、ようやくカトマンズのホテルに戻ってきました。下山地のタプレジェンからは、超満員天蓋荷物積載量完全無視のジープに乗って、標高2000m台の山岳ドライブを経てイタハリへ。ここからは標高300m台のタライ高原の一本道を、派手にデコレーションされた貸切バスに乗ってカトマンズへ……。それぞれ朝の6時から夜遅くまで乗りっぱなしの長い長い移動でした。
途中、高級紅茶の産地で有名なイラムを通り、大草原の中に点在するネパールの田舎町でダルバート(ダル豆のスープとごはんの組み合わせで食べる国民食?)を食べながら、でこぼこの道で何度も頭を車の屋根にぶつけつつ、無事にカトマンズに帰着。稲刈り前の青々とした水田地帯や、民家を彩るバナナの林、そして沼に水牛が遊んでいる様子を車窓から眺めていると、7000mの氷雪の世界に閉じ込められていたことが遠い昔のような感覚です。
とりあえずホテルの部屋で会社アドレスのメールを開き、1万通近い未読メールにため息。気にしてくれていた海外の登山メディア関係者に今回の記録を軽く整理して送ったところでいちどダウンし、今、うっすらとさしてきた朝日のなかでふたたびこれを書いています。
ネパールでは2日前にようやく梅雨が明けたとのことでした。これほど遅い梅雨明けは近年では珍しいらしく、私たちがBCで雪に閉じ込められた頃は、ベンガル湾に発生したハリケーンが各地に雨を降らせていたとのことです。逆に言えば、その不安定な天気のなかでよく登ることができたものだと、あらためて今回の幸運に感謝しています。天気のこと以外にもブログでは詳しく書けなかった登頂のドラマがあったのですが、これはまたあとで整理して紹介することにしましょう。
今日は終日、登山に使った荷物の整理をしたのち、日本大使館やネパール山岳会の方々を招いて登頂記念パーティを開く予定です。その後、本隊は28日のフライトで帰国予定。私だけが仕事の都合で、25日深夜発のフライトに変更してもらい、28日に出社予定です。
白き神々の座で遊ばせていただき、未踏峰での「世界最幸」の瞬間を味わった山岳雑誌編集長から、ふたたび「世界最忙」の仕事人に戻る日が近づいてきました。あと2日間、ネパールで少しだけリハビリ(仕事メールなど…)をして、40日間考え続けた「日本に帰ったらあれ食べたい」リストを胸に、日本に帰りたいと思います。
そりゃ無理でないの? と言いたくなるような暴力的荷物積載風景。この車に山盛り荷物を積んで、隊員10名が乗車して12時間のドライブとなった
ドライブの前半は山岳地帯の高原ドライブ。棚田が広がり、民家の裏にはバナナの林
Date 2013年10月22日(火)
さすがに7000m峰、それもネパールの東の端の山となると、帰りも楽ではありません。行きは村上隊員とともにチャーター・ヘリでカトマンズから直接、標高3600mのグンサに入山しましたが、帰りは他のメンバーたちとともに、正しく徒歩にて下山。今日で3日目、60キロほど歩き通して、バスの待つタプレジェン手前のミトゥルングに到着しました。
一昨日はアムジラッサ、昨日はタペトク。グンサ・コーラの深い峡谷に沿って標高を下げ続け、ここ、ミトゥルングは標高約900m。ということは、アウトライアー東峰山頂から、じつに標高差6000mを下山してきたことになるわけですね…。下山距離の積算は80キロメートルくらいになります。
風雪に閉じ込められたBCからはじまり、カラマツの黄葉が美しいグンサ周辺(標高3600m)を経て、セミがやかましく鳴き、バナナを実らせた村をたどって晩夏の集落へ…。今、ミトゥルング集落のはずれに設置したテントサイトでは、バラサーブ専用のディレクター・チェアに腰掛け、夕焼け雲を眺めながら、半袖シャツ一枚でPCに向かっています。羽毛服の完全装備で吹雪と戦っていた1週間前のBC生活が、まるで幻のよう。日暮れとともに、草叢からはコオロギとクツワムシの(ネパール語風の?)鳴き声が聞こえてきました。
隊員は全員、きわめて体調良好で、各々、ネパール側スタッフと談笑しながら、キャラバン最後の夜を楽しんでいます。今宵は「炎の料理人」ジャガティスのダルバート料理の食べおさめの日。今日も新鮮な(!)チキンを手に入れたらしく、自信たっぷりの表情で調理を楽しんでいるように見受けられました。そろそろいつものコール、「バラサーブ、ディナーレディ」の声が聞こえてくることでしょう。
それではバックキャラバン最後の夕食を楽しんできます。
また明日(うまく通信環境が整ったら…)、連絡しますね。
写真_若者たちの胃袋の暴走は誰も止められない。夕食後、食べたりないと、ついにキッチンに乱入してダルバートのお代わりを要求していた。もちろん食事はスプーンでなくネパール流に右手だけで……。
写真_下界に近づくにつれて文明の飲料がたやすく手に入ることは困ったことでもある。学生ふたりは未成年ということもあって、大人の麦味発砲飲料はお付き合いで封印。その代わりに、休憩のたびに要求されたのが「No coke, No walk!」
Date 2013年10月21日(月)
10月17日、雪に閉ざされたロナークを後にして、トレッキングコースの2日分を歩き通し、ヘリコプターでの入山地、グンサ(標高約3600m)に到着しました。
途中、雪が深かったために予想以上に時間をとられ、途中でヘッドランプ行動となってしまい、グンサのロッジに着いたのは19時過ぎ。11時間連続行動のロングランでした。しかし、一気に1200m近く高度を下げたために体調は万全。カラマツの黄葉を愛で、足の裏に土の感触を楽しみながら、雪と氷の世界から無事に下界に下りることができたことをしみじみと実感しています。
隊員たちにとっては、富士山頂上よりも高いところで約1カ月以上生活していたことになるわけで(標高5000m以上ではちょうど3週間、過ごしていました)、ここでもまだ富士山頂ほどの高さであるにもかかわらず、酸素の濃さを強く感じられます。例えるならば、酸素のぬるま湯に浸かっているという印象でしょうか。ちなみに私のSpO2の値は96。ほぼ下界並みの数値に落ち着いています。
今後の予定ですが、迎えのヘリの都合がつかなくなったため、全員でバックキャラバンをすることに決定。タプレジェンまで、登りで6日かかったところを4日間で下山します。タプレジェンからは貸切バス2日の旅で、カトマンズには23日深夜に到着予定。翌日は政府観光局ほか、各方面に登頂報告や装備のチェックのために過ごし、25日カトマンズ発の便にて帰国の予定です。
ここ、アムジラッサは唯一、南の空が開けていて衛星が拾えますが、明日以降、またしばらく深い谷の中のキャラバンにつき連絡が途絶えるかもしれません。登頂の詳細などについては、またあらためて紹介しようと思いますので、ご期待のほど、どうぞよろしくお願いします。
写真_ロナークのキャンプ地で出発前に全員集合。だれが隊員かわかりますか?
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