萩原編集長のヒマラヤ未踏峰挑戦記 Outlier East 7035m

031 BCからの脱出

Date 2013年10月16日(水)

10月11日の登頂成功日以降、しばらくブログの更新が途絶えてしまいましたが、これには深い理由がありました。C2から一気に下り着いたベースキャンプ(BC)で、季節はずれの大雪に遭遇。ブロークン氷河の出口付近の岩稜と、トラバース斜面の雪崩が危険すぎるために脱出することもできず、そしてソーラーバッテリーも充電不可、といった状況で、標高5200mのBCにずっと足止めされていたのです。

 

この季節、1メートル以上の積雪があることはきわめて稀であるらしく、ガイド経験の長いサーダーのツルさんにしても、約20年前にパンガで起きた雪崩遭難のとき以来だとのこと。テントが埋まりゆく光景を眺めながら、私たち隊員たちもテントの除雪以外になすすべなく、停滞の日々を送っていました。

 

天候回復のきざしが見えはじめた10月15日午前11時、一瞬の青空を確認してから脱出を決行。1メートル以上の積雪に足をとられながら、通常、ポーターたちが2時間で下っていた斜面を8時間半かけて、ようやくロナークに到着することができました。もちろん、この日は登頂日以来のヘッドランプ行動。ブロークン氷河のゴルジュ帯を抜け出すころには、ウェッジピークの山端から現われた月が広い河原を煌々と照らしていました。

 

ともあれ、なんとか安全地帯に出ることができて、隊長としてはホッとひと息。ロナークからは一般トレッカーが行き来するエリアになります。

 

登頂後の「あとは下山だけ」という楽勝ムードに対して、冷や水どころか強烈な豪雪をもって最後に山の厳しさを教えてくれたヒマラヤの神に感謝。なにしろ、この雪が1週間早くやってきたら、登頂計画そのものも完全に埋もれ去ってしまったことでしょうからね。

 

この停滞のために帰国予定が数日、延びそうですが、1カ月以上、共に過ごした仲間たちとのバックキャラバンを、もう少しだけ一緒に楽しみたいと思います。

 

次々に撤収してBCに向かう
写真_10月12日、C2、C1を次々に撤収してBCに向かう。青空はこの日の午後から4日間、姿を見せなかった。今、思えば、背後の雲の動きがあまりにも急だった

 

豪雪に閉じ込められたベースキャンプ
写真_豪雪に閉じ込められたベースキャンプ。除雪しながら過ごすのが精一杯の日々が3日、続いた

 

ブロークン氷河の最後の下降
写真_ブロークン氷河の最後の下降。雪の穂高並みの困難な岩場を、最低限の装備だけで下降した

030 登頂成功!

Date 2013年10月13日(日)

先発隊が東京を出発してから34日目、ついにアウトライアー(Janak Chuli)東峰の初登頂に成功しました。朝6時に標高6400m地点のキャンプ3(氷壁を削って立てた恐怖のテントサイト。トイレも確保が必要で大変でした……)を出発。12時30分に萩原、少し遅れて本田・村上の3名の隊員が頂上に到着しました。

 

当初はさほど困難と見ていなかったコルから頂上に向けての稜線が意外に悪く、鋭いナイフリッジとミックス壁がところどころに現われて、10月10日は強風と時間切れで登頂断念。

 

今日は好天に恵まれ、快晴のなか、チベットからの強風に邪魔されることなく、ピークに立つことができました。献身的なサポートをしてくれたネパール人スタッフ3名には本当に感謝です。

 

頂上からは、カンチェンジュンガの巨峰はもちろん、遠くにマカルー、エベレストといったネパールのジャイアンツたち、そして北側にはチベット高原が延々と広がっていて、まさにヒマラヤの東の果てからの大展望を楽しむことができました。

 

頂上での撮影タイムもそこそこに、下り始めると天気は一転、視界はなく、小雪の降る状況のなか、C3を飛ばして南西壁をC2に向けて下山。暗闇のなか、20回以上の懸垂下降を経て、19時ごろに安全地帯のC2にたどり着くことができました。

 

ただ今、現地時間の21:00.初登頂の疲労と興奮のなか、とりあえず無事に登頂できたこととをご報告いたします。そして今回の登山に対してさまざまなご協力をいただいたすべての方々に、そして長期間の遠征にご理解をいただきましたメンバーたちの会社やご家族の方々に対して深く感謝を申し上げます。

 

なお、登山の詳細につきましては、バックキャラバンのなかで少しづつ紹介していく予定ですので、本ブログにつきましてはもうしばらくお付き合いのほど、どうぞよろしくお願いします。

 

下部雪壁帯を登る村上隊員と本田隊員
写真_下部雪壁帯を登る村上隊員と本田隊員

上部ミックス壁をトラバースする村上隊員
写真_上部ミックス壁をトラバースする村上隊員

アウトライアー東峰山頂での萩原隊長
写真_アウトライアー東峰山頂での萩原隊長

【速報】萩原編集長登頂成功!

Date 2013年10月11日(金)

先ほど萩原編集長から衛星電話で連絡があり、
隊員含めて3名がOutlier7035メートルに無事登頂したとのことです。

天気が不安定なため、登頂まで数日停滞したようですが、
登頂した本日は微風程度で、みごとな快晴により、
360度のパノラマで素晴らしい光景を目にしているそうです。

詳細は後日掲載いたします。

029 C3へのルート工作完了。明日から最終ステージへ。

Date 2013年10月08日(火)

C2停滞中の6日深夜、テントが押しつぶされてしまいそうな猛烈な吹雪となりましたが、夜が明けるころには風もおさまり、快晴の朝を迎えました。強風が、あのイヤな雲を追い払ってくれたようです。積雪は10センチ前後で、登攀にはほぼ支障のないレベル。7日はC1から上がってきたネパール人スタッフを中心にC3へのルート工作を行いました。

 

C3予定地までは3年前にトレース済みなので、前回のルートをほぼ忠実にたどって懸垂氷河上の斜面まで約1000mの登高。今年は雪が多いため、上部ではミックス壁の不安定なトラバースを強いられましたが、当初の予定どおり標高6800m付近までロープを延ばすことができました。

 

今後の予定では8日を休養日にあてて9日にC3入り。10日にC3から頂上をめざします。登頂メンバーは、萩原(OB)・村上(OB)・古城(OB)・本田(4年)の4名を予定していましたが(注・現役学生の真下(2年)と中西(1年)は、経験・技術不足のため、あらかじめC1までの計画だった)、古城隊員の体調がすぐれず、C1に下山することになってしまい、3名での登頂をめざすことになりました。

 

ただいま、8日、朝10時のC2での気象状況は快晴。気圧も502hPaまで回復し、5900mを示していた高度計も5833mに落ち着いて安定した状況です。あと2日、この好天がもってくれればと祈るばかりです。

 

明日から頂上にむけての最終ステージとなるため、ブログの更新はしばらく滞りますが(さすがにパソコンはC2に置いていきます)、次回の更新では明るいニュースをお届けできるようにがんばってきます。

 

どうぞお楽しみに。

 

C2から見上げる快晴のアウトライアー南西壁
写真_C2から見上げる快晴のアウトライアー南西壁

 

下部雪壁帯にルート工作中
写真_下部雪壁帯にルート工作中(C2より)

 

標高6000m付近から見た夕照に輝くジャヌー北壁
写真_標高6000m付近から見た夕照に輝くジャヌー北壁。このカットが撮りたくて、昨日は17時30分までルート上で粘っていた

028 C2にて停滞中

Date 2013年10月07日(月)

5日は登頂隊員全員でC2(標高約5800m)に上がり、可能なところまでルート工
作をする予定でしたが、天候が悪くルートはC3までつなげることができませんで
した。

昼ごろから本格的に降雪が始まり、翌朝、起きてみると10~15センチほどの積雪量。
これではルートに取り付くこともできません。6日は早々と停滞と決定し、
登頂に向けてのタクティクスを練り直しているところです。気圧も497hPaまで下がり、高度計は5910mを指しています。残念ながら悪天の周期はもう少し続きそうです。

それにしても、今年の10月は天気が悪いです。

1日から今日まで、ソーラーパネルがフル稼働できたのは1日(実質は半日)だ
け。雪も少量ですが3日連続で降っています。よりによって登頂を前にした大切
なときに天候に見放されるとは、困ったものです。信心が足りないのか、ラマ僧
さん(実は自分たちでプジャをした日の夜、ヘッドランプをつけてBCにご登場な
され、翌朝、1時間ほどお祈りをささげてくださった)が、雨乞いのお祈りまで
サービスしてくださったのか(もちろん冗談です)。

ちなみにここ、標高約5850mのC2は、正面にアウトライアー南西壁を仰ぎ、足元
にはブロークン氷河の大クレバス地帯を見下ろす、小高い雪の丘に設立されてい
ます。晴れると、この上なく快適な場所なのですが、昨日のような雪模様だとト
イレに行くのもひと苦労。当初の予定では明日、頂上に向けて出発の予定でした
が、雪質と天候の安定を待って、あと2~3日はここに落ち着くことになりそう
です。次のブログ更新の可能性は天候次第でなんとも言えませんが、ほどほどに
ご期待ください……。

大雪原の丘の上にポツリと設営されたキャンプ2
写真_大雪原の丘の上にポツリと設営されたキャンプ2。ここに4名の隊員が
生活している。たぶんあと2~3日後まで……。

C2からブロークン氷河の大氷原とC1方向を見下ろす
写真2 C2からブロークン氷河の大氷原と、C1方向を見下ろす(C1は氷河の右岸
の丘の上にある)

027 青空はいずこに……(C1ステイ中)

Date 2013年10月05日(土)

10月3日は標高6800m地点のキャンプ3に向けてのルート工作。

あいにく天気が悪く、昨夜からの雪で、C1の周囲はすっかり雪化粧となってしまいました。ルート工作も視界不良のために途中で断念。午後は休養にあてています。

 

今日はほとんど太陽が姿をあらわさないためにソーラーチャージもうまくいかず。残り18%のバッテリー残量でこれを書いています。

 

10月に入ってから天気が安定するはずなのに、今のところまだ、終日、晴れ続けるような日はやってきません。朝だけ晴れてあとは雲の中という、2011年の夏山(記憶にある人はかなりの登山通です)みたいな天気が連日、続いています。

 

翌4日も、太陽が姿をあらわしたのは朝の7時まで。あとは薄雲のなかからぼんやりと太陽の形が見えるだけで、アウトライアーの姿も早朝のほんのわずかな時間しか見ることができませんでした。結局、視界不良のためC2への移動とC3へのルート工作は明日に持ち越すことにして、今日は停滞。ひたすら太陽を求めてソーラーチャージにつとめます。

 

登頂を数日後にひかえている今、これまででいちばん不安定な天気の周期に入っていることが気がかりですが、乾季を前にした好天の周期に変わることを期待しています。プロトレックの気圧計も510hPaから上昇のきざしを見せはじめ、今は513hPaです。

 

今後の計画では、明日、5日に登頂隊員4名がC2入り。6日はルート工作にあてて、7日に標高6800mのC3泊。そして8日が最短での登頂予定日、となっています。この間に、天候や雪質、隊員の体調などによってレスト日を1~2日入れるかもしれませんが、臨機応変に対応するしかありませんね。いちおうC2にもPCと衛星モデムを持ち上げますが、しばらく登攀に集中するため更新が途絶えるかもしれないことをあらかじめお知らせしておきます。

 

とりあえず今は青空に期待して、青山学院大学らしくお祈りのことばを・・・。

 

(詩篇121篇より)

目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。

  わたしの助けはどこから来るのか。

わたしの助けは来る。

  天地を造られた主のもとから。

どうか、主があなたを助けて

  足がよろめかないようにし、

まどろむことなく見守ってくださるように。

(以下、略)

 

どうか太陽の恵みが、

われわれ登山隊メンバーの身にあまねく降り注ぎますように…。

 

と、殊勝なことを書いてみましたが、

やはり海外登山には運がつきもの……。

最後の最後は隊長自身の「晴れ男」パワーに期待したいものです。

 

雪化粧したC1(標高約5600m) 
写真_雪化粧したC1(標高約5600m)。朝の気温は1℃

 

C2の荷揚げから戻る村上隊員と本田隊員
写真_C2の荷揚げから戻る村上隊員と本田隊員

 

元気づけのための夕食メニューは「ヤクステーキ」
写真_元気づけのための夕食メニューは「ヤクステーキ」

026 食の最終兵器

Date 2013年10月04日(金)

「炎の料理人」ジャガティスの愛情料理も、アマノフーズの超美味フリーズドライ食品でも、どうにも食が進まない日というのがあります。そんなときのために用意してきているのが食の最終兵器。やっぱり日本食が基本でしょう、というなかで、私が持ち込んだのは「雲丹(うに)のり」と「雲丹めかぶ」でした。

 

7月に大山に行った帰りに、米子鬼太郎空港の売店で目にして「ぜったいにヒマラヤで食べてやる!」と、心に誓って持ち込んだ自信のひと品です。効果は絶大! 高度障害に侵された胃袋に心地よい刺激が加わり、元気回復。白いごはんに、「とりあえずひとりスプーン半分ずつだからね!」 という隊長命令にもかかわらず、学生たちの無限胃袋の前にあっという間にカラになってしまいました。

 

これに懲りて、あとひとつの「雲丹めかぶ」のほうは、頂上アタック前夜の戦闘食として、ザックの奥深くにしまいこんであるのです。

 

食の最終兵器 
写真_食の最終兵器、「雲丹のり」と「雲丹めかぶ」

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