Date 2013年09月28日(土)
9月24日11時30分、全隊員が無事にブロークン氷河の舌端近くにあるベースキャンプ(以下、B.C)に到着しました。
ローナクのカルカ(放牧地)を離れると、ルートはこれまでのトレッキングルートと違って氷河末端の荒れた地形のなか、深い谷間の側壁を登っていきます。ゴルジュ状になった谷底まで200mほど切れ落ちたボロボロの斜面を、ところどころフィックスロープで安全を確保しながら登高。「ブロークン・グレイシャー」とはよく名づけたもので、まさに荒れ果てた氷河の顔がそこにありました。
たどりついたB.Cは標高約5200m。すでにヨーロッパ・アルプスの最高峰、モン・ブランの頂上よりも高い場所に居ることになります。さすがに全隊員とも、ここにきて高度の影響が出てきたらしく、頭痛やおなかの不調を訴える者、多数。私も今回、初めて頭痛を感じるようになりました。
午後はソーラーパネルを使って電子機器の充電をしたのち、高所順応のために裏山を軽く散歩。皆を誘ったのですが、誰もついて来たがらないので、ひとりで標高5400m地点まで登り、20分ほど滞在してから、沈みゆく太陽と競争するようにB.Cまで下山しました。
この日の夕食はトンカツ! うれしいメニューには違いないのですが、高度の影響をたっぷりと受けたメンバーにはちょっとヘビーな感じです…。しかしながら、昨日も今日も絶不調だったはずのホンダ隊員(現役4年生)だけが、「トンカツ用の別腹があるんです」と言いながら、皆の食べ残しを平らげた上、「明日の朝食用」としてキッチンスタッフにお取り置きをお願いしていました。恐るべし、若者の胃袋。
写真_ブロークン氷河のゴルジュ帯を登る。不安定なガレ場の連続だ
写真_ベースキャンプにて。先発隊にとっては、日本を出て17日目に到着した長いキャラバンだった
写真_裏山から見下ろしたわがB.C。アウトライアーは、さらにこの氷河の奥にそびえており、その姿を目にすることはまだできない
Date 2013年09月27日(金)
9月26日。先発隊が日本を発ってじつに18日目。はじめてアウトライアーの姿を見ることができました。C1への高所順応のために登った裏山の、標高5600mの尾根を越えた瞬間、アウトライアー(ジャナク・チュリ)南西壁が突然、目の前にその姿を見せたのです。
周囲の山々からひとつ頭を抜け出してそびえる存在感。そして朝日に輝く白い壁を見るにつけ、登高意欲がいやがうえにも高まります。3年前よりも着雪が多く感じられたのは、まだ雨季があけきっておらず、毎日のように午後に降る雪の影響なのかもしれません。下部の雪壁の状況を一日でも早くチェックしたいところです。
午前中の快晴が、午後には激しい霰模様となり、全員濡れながらBCへ帰還。隊員の半分はまだ高山の影響で食欲が戻らず苦労していますが、明日一日、休養にあてて回復することを期待しています。
安全祈願のお祈り(ラマ僧によるプジャ)が明日、行われることになっていましたが、暦の都合で28日か29日になるとのこと。したがってC1入りは早くても29日ということになります。下界から見るとじつにのんびりしたペースと思われるかもしれませんが、「郷に入っては…」ということでビスタリ、ビスタリ(のんびり、のんびり)と構えたいと思います。
深夜、外に出てみると雲はあがり、下弦の月に照らされてドローモ西壁のヒマラヤ襞が青白く輝いていました。明日はきっと快晴でしょう。ソーラーパネルでPCの電源をフルチャージしなければ……。
Date 2013年09月25日(水)
9月23日はローナクで停滞としました。
ここまでは放牧のためにしっかりした道が作られており、また、カンチェンジュンガBCまでのトレッキング・ルートとしてよく歩かれています。昨日もドイツと南アフリカのトレッキング・パーティが近くにテントを張っていました。
私たちが登ろうとする山は、ここから北に向かってローナク氷河に入り、さらに枝分かれしたブロークン氷河を遡ったどん詰まりにそびえています。まさにイギリスの探検家、ケラスが「Outlier」と名付けた所以がそこにあります。ブロークン氷河の果てに、離れ小島のように聳えるアウトライアー東峰(Janak Chuli East)をめざし、明日はベースキャンプを設営に向かう予定です。
今日は完全休養日としたため、昨日、高所順応に出られなかったメンバーたちも回復。あふれる日差しを浴びて、のんびりとシュラフを干したり洗濯したりして、一日を過ごしました。ソーラーバッテリーも全開で充電を果たし、衛星も補足して、ひとまず通信環境は整っています。しかし、明日、入山するブロークン氷河は、周囲を山に囲まれているため、おそらく通信は不可。しばらくブログの更新ができなくなるかもしれません。
隊員たちは洗濯ものを干し終わると、各々がお好みの場所に椅子を持ち出して読書三昧。ある者は氷河を見下ろす高台のてっぺんに、ある者は日陰をさがして建物の陰で、読書にふけっていました。本離れが叫ばれる昨今にあって、ひとり平均10冊以上の文庫本を持ち込んだ学生たちに頼もしさを感じるいっぽう、電子ブックの普及進度の遅れを少し嘆きながら、回し読みの輪に加わるOB隊員たちでした。
写真_先発隊にとっては、実に15日ぶりの洗髪(ダジャレのつもりではないのですが…)になりました
写真_私が持ち込んだ1冊は「日本百名山」。ヤマケイ文庫の編集長としては、深田久弥さんの「ヒマラヤ登攀史」や「ヒマラヤの高峰」を文庫化&電子化して、ここに持ってきたかったところです
Date 2013年09月25日(水)
カンバチェン(4095m)を8時に出発。グンサ・コーラ(谷)に沿った道をたどり、ローナク(4785m)に13時30分に到着しました。
カンバチェンまでは樹林の中をたどる道でしたが、4000m以上は灌木と岩礫の間のトレッキングルート。とはいっても、めざすローナクもカルカ(放牧地)が広がっていて、ヤクや牛さんたちも往復するため、きわめて安定した登山道です。道の周りにはエーデルワイスやリンドウの仲間が咲き乱れて、目を楽しませてくれます。途中、モレーン末端の急登をクリアすると、野球場が3~4つできそうな広大なカルカ。そしてローナク氷河から流れ出る川を渡り、カンチェンジュンガ氷河との合流点となる草原がロナークの集落です。
ここは放牧のためのロッジが3~4軒あるだけ。周辺は放牧地となっていて、のんびりとしたカウベルの音が谷間に響いています。のり巻きのランチを食べた後は、高所順応のために裏山を目指しました。体調が今ひとつの3人を残して、パサン・タマンの案内で、マシモ隊員、ナカニシ隊員と私の3名で登高開始。ガレ場を登り、目指す尾根にたどり着いたところが標高4964m。高度計を見せて、「あと36m登ろう!」ということで標高5000m地点まで登って30分ほど待機。下山してそれぞれSp-O2を測ってみると、それぞれが92以上をクリアしていました。
なかでもマシモ隊員は昨日、高度障害でテントから外に出られないほどの状況だったにもかかわらず、とっておきの「救心」を与えたところ劇的に回復。今日のキャラバンも絶好調で、5000mの順応活動もきわめて順調でした。
隊員全員、いまのところ好調なので、明日はローナクで停滞後、あさって、BCに上がるように全体の計画を1日、前倒しにすることに決定。2度目のステーキ・ディナーをいただいて就寝です。
写真_モレーンに登ると正面にカンチェンジュンガ氷河が姿を現わした
写真_目指すアウトライアーがある方向のロナーク氷河。この先、右方向に分かれるブロークン氷河がBCへの入口となる
写真_高所順応でたどり着いた5026m地点。元気いっぱいになって高度計を指さすマシモ隊員とパサン
Date 2013年09月25日(水)
「バラサーブ、ティー プリーズ」
キャラバン中の朝はモーニングティーで始まります。6時に起床。レモンティーを飲んでボーっとしていると、続いて洗面器に入ったタトパニ(お湯)が運ばれてきて、洗顔タイム。それからおもむろに出発のためのパッキングを済ませて7時に朝食。8時に出発、といったパターンが以後、毎日続いています。
今日は標高4095mのカンバチェンまで約4~5時間の行程です。重い荷物はすべて運んでもらえるので、サブザックに雨具と水筒と行動食、カメラなどを入れて元気に出発。ヒマラヤ・トレッキングはかつて「マハラジャ(王様)の散歩」と呼ばれていたように、こんなふうに至れりつくせりの行動パターンは標準的なんですよね。そしてこれから目指すカンバチェンは集落があるため、牛が行き来する道なので歩きやすく快適なのです。
川に沿って、しばらくはサルオガセが繁る森のなかを抜け、いくつかの橋を渡ると景色が一変、4000m近くになって、ようやく樹林限界を抜けました。荒涼とした河原歩きから、ガレ場の大高巻きをしているときに気がつくと、雲の切れ間からヒマラヤ襞をまとった巨大な峰が…。ジャヌーです。いよいよ岩と雪の世界に足を踏み入れたことをまざまざと実感させられました。
ふたつの川が合流する平地にカンバチェンの集落はありました。到着と同時に雨が降ってきてラッキー! と思ったのですが、新しい高度を経験したときは高所順応のためにもう少し高いところで体を慣れさせなければ…ということで、傘をさして裏山へハイキングに出発。標高4300mまで高度を上げて30分後に他の隊員たちは下山したのですが、写真を撮りたいため私だけ残ることにしてさらに待機。すると、上空の雲が完全にあがり、写真で何度もみたことのあるジャヌー北壁が西日を受けて輝き出したのです。待ち時間に、周囲に咲くエーデルワイスなども撮影することができて、ひとり、待った甲斐があったというものでした。
遅れて下山してみると、3人のメンバーが体調不良を訴えていました。高度と寒さの影響とは思いますが、明日には元気になってくれることを祈りつつ、ひとり、ロッジのダイニングルームでこれを書いています。
写真_小雨の降るなか、天気待ちをするメンバー。東の空は晴れているのに…
写真_まさに「怪峰」の名がふさわしいジャヌー北壁。手前の尾根がじゃまなので、機会があれば、あの尾根の上から撮影したいものだ
Date 2013年09月24日(火)
キャラバン中の楽しみは、山の景観もさることながら、やっぱり食事の楽しみが大きなウエイトを占めるものです。その点、わが隊は恵まれていました。
キッチンのリーダーの名前はジャガティス。前回の遠征でもお世話になった方で、その後、竹内洋岳さんがダウラギリ登頂の際に「炎の料理人」として紹介されたので、ご存じの方も多いかもしれません。とにかく勉強熱心で、日本人登山者が何を望んでいるのかをよく知っているのです。先発隊と合流した日の夕飯は、すき焼きにゴーヤ・チャンプルー。朝食では卵焼きやインゲンのゴマ和えなど、なかなか泣かせる料理の連続です。毎日、幸せの食卓を楽しませていただきました。
で、それに加えて、今回はOBの岩井名誉隊長から肉の差し入れをいただいてきました。岩井さんは3年前のアウトライアー遠征時に総隊長をつとめられた方で、OB会のなかでも食通として知られています。ジャガティスにフレンチトーストの作り方を教えたのも氏でした。
今回、いただいたステーキ肉は、知る人ぞ知る人形町の日山から仕入れたもので、味噌漬けにして計20枚を日本から持ち込みました。保冷剤つきのため、重さは8キロ。重かったけど、これがまた強烈においしいのです。底なしの胃袋を持つ現役部員3名は、すき焼きで十分に食べたはずのごはんをさらにお代わりしてステーキをペロリと平らげていました。こちらも負けじと肉を完食。こんなペースで食べ続けて、登る前に胃拡張になってしまうのでは…と、密かに恐れている萩原なのでした。
Date 2013年09月24日(火)
いきなり3590mに飛んでしまったので高所順応が心配だったのですが、事前に富士山頂とミウラベースの低酸素室で睡眠体験をしたおかげか、すんなりと高度に慣れることができました。SP-O2(血中酸素飽和濃度)も92と、まずまずの数字(90を超えていればほぼ安心。高山病になると70以下の数値になることもあり、危険な状況となる)。食欲も旺盛で、ロッジで頼んだダルバード(カレー薄味の豆のスープとご飯に、付け合せの肉類などがつくネパール独特の食事メニュー)もおいしくいただき、おかわりまでたっぷりといただいてしまいました。もうしばらくは苦しくて動けません……。
午後になって先発隊のメンバー全員が到着。前半、お腹をこわした者が数名いたようですが、全員、いたって元気のようです。高所に慣れるためにさっそくフルシロ、ホンダ、ナカニシの3人を連れて午後の散歩に出かけることにしました。
グンサの谷の周囲は切り立った岩壁になっています。集落のはずれで、数百メートルもの高さで落ちる立派な滝をみつけたので、滝壺まで歩くことにしました。渓谷沿いの道を飛び石づたいに登り、ガレ場をよじ登って滝壺を見下ろす丘に到着。プロトレックの高度計は3700mを示しています。霧雨のような飛沫を浴びながら、大滝の下でマイナスイオンを深呼吸。ロッジに戻ってSP-O2値を図ってみたら95に上がっていました。
写真_グンサでお世話になったロッジ。電気も通っていて、バラ・サーブ(総隊長)のために、シングルルームを用意していただきました
写真_ロッジでダルバートを作る女主人。わんこそばのようにお代わりを強要されました
写真_これが現地での主食、ダルバード。ネパール語でダールは豆のスープで、バードはごはんの意味。このダールをごはんにかけ、おかず(タルカリ)とつけもの(アチャール)とともに食す。このときのおかずはヤクの肉の炒めものでした。干し肉のようでアゴが痛くなるほど堅かったけど、おいしかった!
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