Date 2013年09月24日(火)
9月18日、いよいよキャラバンに出発です。
後部座席にはカトマンズで用意した新鮮な野菜と卵、その他、食糧だけで50㎏。ここに私とムラカミ隊員の荷物が加わり、パイロットと3人が座ると座席はいっぱいです。私の席は、総隊長&カメラマンの権限でパイロットの左隣の席。これから東に向かうので、ヒマラヤの山々はずっと左の窓から望むことができるのです。
これがまた、じつに豪勢なヒマラヤ遊覧飛行でした。空港を飛び立つと、いきなり左手にガネッシュ山群が顔を出します。35年前、私が学生のときにネパールとの合同隊で遠征を試みようとした美しい7000m級の峰々です。
さらにその奥からは鋭い峰のガウリシャンカール、美しいメンルンツェと続き、しばらく後に、ひときわ高くエベレストが顔を出しました。日本の山で遠くに富士山をみつけたときと同じように「あ、エベレスト」と思わず口に出したら、パイロットのダーリ氏はヘッドセットを通して「そのとおり!」と、深くうなずいてくれました。
続いて、これまた鋭く美しい山容のジャイアンツ、マカルーが、雲を突き抜けて姿を現わしました。このあたり、眼下は山岳地帯に入ってきて3000m級の緑の山々が広がり、山懐にはぽつんぽつんと集落が点在しています。コックピットのGPS装置(ヘリナビ?)の画面のなかに、先発隊のキャラバン出発地点、タプレジェンの名前が見え始めると、今度は正面に大きなカンチェンジュンガ山群が姿を現わしました。なかでも孤高の7000m峰、ジャヌーの鋭峰がぐんぐん近づいてきます。足元を見ると、深い渓谷にはいくつもの吊り橋がかかり、1週間前に先発隊が歩いた道が、切れ切れに見えるようになりました。そして谷が少し開けてくると、グンサの集落に到着です。
カトマンズから約2時間。先発隊が43人のポーターとともに1週間かけてたどり着いたグンサの集落へ、実にあっけなく到着しました。空からヒマラヤの大展望を楽しみ、1週間の行程を短縮できるヘリの利用(チャーター便なので約1万ドルかかっています…)は、まあ、悪くない選択かな、と感じました。
3590mの簡易ヘリポートに降り立つと、先発隊からひとり抜け出して我々に会いに来た4年生部員、ホンダ隊員が迎えてくれました。彼は今年、某国営放送に内定が決まり、練習のためとビデオカメラを購入。後発隊の到着シーンを撮影するために、早朝から歩きどおしでグンサに駆けつけたそうです。
ともあれ、これでようやくアウトライアー(Janak Chuli)登山のスタート地点に全隊員がそろったことになります(私たちはキセルしちゃいましたが…)。あとは自分の足で少しずつ、高所に慣れながら、そしてルートを探しながら、頂上をめざします。
写真_コックピットにて。この後、狭い窓からレンズを向けていて、腹筋がつりそうになった……
Date 2013年09月18日(水)
カトマンズ滞在初日は、衛星モデムの動作確認、後発隊の食糧チェックなどをしたのち、シャングリラ・ホテルの中庭のレストランでのんびりと昼食。表通りの喧騒とは裏腹に、ここは極めて平和な空気が流れていました。
その後、登山許可証の受け取りのためにネパール観光省へ。事務室では観光局長をはじめ4人のスタッフに囲まれながらブリーフィングを受け、登山隊長として申請書にサイン。退室時には局長が直々に安全祈願のための白い布「カタ」を首にかけてくれ、笑顔で送り出していただきました。さて、これでいよいよ入山の準備完了です。
約40日後、無事に登頂を果たして登頂証明書を受け取りにここに戻ってこられるよう、頑張りたいと思います。
写真=ハイビスカスの咲くシャングリラ・ホテルの中庭にて。ランチにはもちろん「エベレストビール」
写真=登山申請書にサインする
写真=観光局局長とともに
Date 2013年09月17日(火)
15日早朝、成田発の中国南方航空・JAL共同便で中国・広州を経由し、23時(現地時間)にカトマンズに到着しました。ひとり23キロ×2個までの荷物が持ち込めることと、その日のうちにネパールに入れること、そして値段の安さでこちらのフライトを選択。遠征隊には助かります。
空港からはホテルに直行し、無線LANが使えることを確認してから、いくつかの仕事を片付けて就寝。結局、多くの宿題をネパールまでかかえてきてしまいました。
朝起きてホテルの前の通りに出てみると、昔と変わらない光景がひろがっています。街のほとんどの道が工事中で、ホコリと排ガスとクラクションの音、音、音。それでも、どこか懐かしさを感じる街並みを、今回の遠征の手配をしてくれたコスモトレックの事務所へ。打ち合わせをすませてから庭を借りて、ソーラーパネルとインマルサットを使った衛星モデムの作動チェックです。衛星の捕捉に時間がかかったものの、なんとか動作環境を確認してホッとひと息。これで山の中からの通信ができそうです。
写真=広州の空港で約5時間、乗り継ぎ便を待つ。ランチはもちろん本場の中華!
写真=朝のカトマンズの街は車であふれかえっていた
写真=衛星モデムの動作確認をするムラカミ登攀隊長
Date 2013年09月17日(火)
今日9月13日は出発前の最終出社日。残した仕事が山積みで、どうにも身動きがとれない最忙日は、なんと会社の席移動の日でもありました。年に2回、わが社では席替えをする習慣があり、今年はたまたま出発の前日が移動日にあたってしまったというわけです。
今回、会社を長期間休んで遠征に加わるOB仲間は、いずれも名の知れた有名企業に勤めているのですが、ひとりは役員の退職勧告を振り切って参加し、もうひとりは帰国後に座る席がまだ決まっていないという不安を残して旅立つことになっています。サラリーマンの長期休暇取得に対する苦労は並大抵なものではないのです。
それにくらべてワタクシの、なんと恵まれた環境にあることか……。
帰国後の自分の席を自分で確保して旅立つわけですからね。しかも今度の席は、ありがたいことに(?)社長の席のすぐ目の前。これだけ目立つ場所なので、ありえないと信じてはいますが、帰国までの間に席の入れ替えなどが行われないことを祈っています。
それにしても、出発前の机の整理というものは、あまりやりたくないものですね。身の周りをきれいにして出発するというのは、帰ってこられないかもしれないという覚悟をしているようで、心情的に好ましくないような気がするのです。そのうえ今日は13日の金曜日だし……。これはあまり関係ないかな?
で、個人的には帰ってきてすぐに「働け」モードに入れるように、そして他人が容易に机の整理ができないように、ちょっとだけちらかしたままで出かけようと思っています。というか、片づける時間があまりにも足りなかった……。あとはよろしく頼みますね、ヨシイさん(注・いつも笑顔で仕事の補助をしてくれている、たいへん有能な部員です。特に私なんかは彼女に頼りっぱなし。今回もヒマラヤ級に困難な雑務を押し付けてきてしまいました)。
それよりもなによりも仕事です。明日までに『ROCK&SNOW』冬号の台割を確定して原稿を依頼し、企画書を仕上げなければ……。そして私の留守中にやっておいてほしい宿題リストを各方面にバラまいて、さらにピオレドール・アジアの日本チームの推薦状を書かなければ……。
ともあれ2日後、カトマンズの空港に降りた瞬間に、すべてを忘れて山に集中できるよう、ココロをコントロールしたいものです。今日もまた、家に戻るのは明け方になりそうです……。
写真=日本山岳写真協会の新年会の福引きで当たった金色のダルマさん(だるま工房やなせさん提供)に目を入れて出発します
Date 2013年09月17日(火)
「高所では気圧の関係でハードディスクが動かなくなる」「キャラバン中の衝撃でハードディスクが壊れる心配があるので注意」といったアドバイスを受けて、ヒマラヤに持っていくメインマシンはSSD(ソリッド・ステート・ディスク)に載せかえた機種にしました。ベースキャンプまで衛星モデムとソーラーバッテリーを担ぎ上げるので(もちろんポーターさんたちが、ですけど)、現地から、なにがしかの情報を送れるように工夫してみたいと思います(毎日の短信については青山学院大学山岳部のHPを参照してください)。
で、バックアップ用にもう一台、ネットブックを持っていこうと思い、こいつもついでにSSDに換装してしまおうと、まずはメモリの増設から始めてみました。キーボードをはずし、各種コネクタを引っこ抜き、中のパネルをひっくりかえしてお目当てのメモリ発見。そお~っと差し替えて無事にメモリの増設完了! 動くかどうかドキドキでしたが、いちおう動くことを確認しました。なぜかネジが1本余ったけど、ま、いいか。
が、しかし、残念ながらここで時間切れ……。寝る時間がほとんどない状況下で、PCをいじっている余裕などなくなってしまったのです。SSD換装は涙を呑んで見送り、とりあえず今回はこのマシンをサブ機として荷揚げし、気圧や振動がHDにどう影響を与えるものなのか、高所実験をしてみたいと思います。
写真=無残に解体された状態のネットブック。その後、パワーアップして復活した
Date 2013年09月12日(木)
いよいよ出発が迫ってきたということで、先週末は計画どおり、富士山頂での宿泊訓練に行って来ました。パートナーの村上隊員が来られなくなった代わりに、NHK-BS1「実践! にっぽん百名山」でお世話になっている釈 由美子さんが同行。「富士山頂写真家」小岩井大輔氏が働いている吉田口山頂の扇屋さんに1泊し、早朝の猛烈な風雨という悪条件を体験するなど、充実したトレーニング山行となりました。
http://www.yamakei-online.com/fujisan/diary.php
そして昨日は18時から、「ミウラ・ベースキャンプ」の低酸素室にて標高5500~6000m条件下でトレーニング。そのまま標高4000m条件下で睡眠。ただし猛烈に仕事がたまっているため、22時消灯のところを24時までパソコンに向かってから低酸素室にもどり、それから6時間、快眠しました。6時に起床して低酸素室を出ると、シャワーを浴びて2時間ほど仕事を続けてから、そのままスタジオへ。
今日は「実践! にっぽん百名山」の収録日だったのですね。ヒマラヤに出かけている間の分を前倒しでカバーするため、朝の9時半からスタジオに入っていました。低酸素ボケの私の話を、MCの釈さんがうまくリードしてくれたおかげでなんとか収録終了。それから出社して、現在は『CLIMBING joy』表紙の入稿と、『山と溪谷』の記事編集をしている合い間にこれを書いています。どうやら今夜もビバークになりそうな予感・・・。
先発隊はすでにカトマンズに入り、食料等の調達をしてから本日、キャラバンに出発する予定です。しばらくは現地からの便りが滞るかもしれませんが、気になる方は青山学院大学山岳部のHPへどうぞ。
http://auac.rakusaba.jp/blog/?p=668
写真=須走口から富士山頂をめざす。天気がよかったのはこのあたりまで・・・
写真=ミウラベースの低酸素室でトレーニング中。楽そうに見えるがけっこうツライ
Date 2013年09月10日(火)
前回の記事(003)でプロトレックに「Janak Chuli」モデルがあることを紹介しましたが、なんと、このたび、カシオさんから新型のプロトレックを全隊員に支給していただくことになりました! 今年の7月に新発売となったPPW-3000です。
新開発トリプルセンサーVer.3を搭載した同モデルは、圧力センサーの精度を高めて高度計測の間隔を短縮化し、計測単位が5m単位から1mへと飛躍的に向上、シンプルなデジタル表示画面で、より軽く、薄く、使いやすい設計となっています。人類未踏の稜線で、1m単位での高度計測ができることは魅力的。急激な気圧変化に対してアラームを鳴らすという新機構も頼もしいかぎりです。
とはいっても先述の「Janak Chuli」モデルを置いていくわけにもいかず、おそらく今回は「2台持ち」で登ることになることでしょう。しかし、たまたま隊員たちとの最終打ち合わせの席上で、2台のプロトレックを両手につけていたところ、「ハギワラさん、それ、すごく頭の悪い人のように見えます」という辛らつな意見が・・・。高所での携帯の方法についてはもう少し研究しようと思います。
写真=隊員に支給されるプロトレックPRW-3000。登頂成功の際には、ベルトに大学のロゴと登頂記念のネームが刻印されることになっている
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